フリーター 外に出る

日記

研究者になりたくて、私の研究室では進学するためには結果が必要だったが結果を出すことが叶わず、なれなかった。モチベーションが燃え尽きてボロボロになった。切り替えて社会人として生きていこうと思ったが、新人の中で業務成績が最下位で、一年弱継続して働いたが、夜寝られなくなって、眠れなくなって頭が真っ白になり字が読めなくなった。仕事をやめ、別の職場に移るも、夜寝られなくなって、眠れなくなって頭が真っ白になる症状が消えないのでまた職場を辞めてしまった自分自身が、どう現実と自分自身と折り合いをつけ、自分の将来を決めるのかその過程を整理したいと思う。

6月の青空が広がるある日、私はTwitterで、T県サポートステーションの知り合いから紹介された人物に出会った。彼との出会いは、私にとってとても心動かされる機会となるものであった。

その人物は、エンジニアとして10年以上のキャリアを持つベテランだった。プロフィールには数々のプロジェクトを成功に導いてきた経験が綴られ、彼優れた技術力と深い知識は、エキスパートなコーディング能力、アーキテクチャ設計とパフォーマンス最適化、そしてコミュニティ参加を含む幅広い領域で示されていた。初対面にもかかわらず、彼の人柄は温かく、親しみやすいものだった。

彼のアドバイスは、とても現実的でありながらも、夢を追いかけるための道しるべとなるものだった。エンジニアとしてフリーランスで成功するには、少なくとも社内で経験を積むことが、10年はかかるだろう、と彼は言った。その言葉は一瞬厳しく感じられたが、続く説明でその理由が明確になった。プログラミングには多くのパターンが存在し、それを適切に出力し、活用するには膨大な経験が必要なのだという。また、仕事で遭遇する問題は、受験と対比するならば、問題文としてが可視化、整理されていないことが多く、受験と同じ要領でうまくいかない理由はそこにあるのではないかと考察されていた。

ただ私は人間関係で悩み、人間関係の構築で失敗したので、また組織の一員としてうまくやっていくことに不安を感じていたので、起業で一人で頑張る道がないか相談した。

彼はまた、仮に起業を考えるならば、社会的な問題を発見することの重要性についても触れた。どのような問題を見つけ、解決策を提示するか、それがどれほどの利益を上げるのか、事前に計画を立てることが起業の成否を分けるのだという。彼は私に「システムデザイン講座」の存在を教えてくれた。それはシステムの設計と問題解決のスキルを学ぶ場であり、私にとって大いに参考になるものだった。

さらに、彼は追加の具体的なアドバイスもしてくれた。まず最初にすべきことは、企画書を書くことだという。企画書はアイデアを形にし、それを他者に伝えるための重要なツールだ。しかし、企画書を作成する段階で、どのような情報を盛り込むべきかに迷うことが多い。そこで彼は、「解像度の上げ方」という記事が載ったspeakerdeckのサイトを紹介してくれた。記事の内容は非常に具体的で、企画書の構成や情報のまとめ方について詳しく解説していた。この記事を読むことで、私の中にあった漠然とした不安が少しずつ解決に向けて前進している。

その後、私は彼のアドバイスに従い、まずは企画書の作成に取りかかった。何度も試行錯誤を繰り返しながら、次第に自分のアイデアが形になっていくのを実感した。そのプロセスは決して楽なものではなかったが、一つ一つの課題をクリアしていく中で、少しずつ自信が芽生えてきた。

彼が示してくれた方向性に従って、今後自分自身がどう生きていくべきか整理することにした。

T県サポートステーションの知り合いから紹介されたベテランエンジニアとの出会いは、私にとって忘れられない一日となった。

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